t1951年4月名門千葉県立佐倉第一高等学校(現・千葉県立佐倉高等学校)に進学
2年生から4番打者を担う。高校時代はほぼ無名だったが、高校最後の大会地区予選で勝ち進み、南関東大会に千葉代表校として出場を果たす。
このころから社会人野球やプロ野球から注目されていたが、長嶋の父親は自身の先輩の教えに感銘を受けて、立教大学への進学を進めた。その時長嶋には読売ジャイアンツからのオファーがあったにみ係らず父はそのことを長嶋に伝えなかった。プロ入り志望だった長嶋はのちにこの事実を知り、激怒したと伝えられている。
静岡の伊東スタジアムで行われた立教大学野球部推薦入学のセレクションが行われた。フェンス直撃を含む3本の安打を打ち、参加者80人中20人が甲子園出場組という中で推薦順位2位で合格した。

